東日本大震災の発生から丸2年経ちました。
死者15,881名もの犠牲と行方不明者2,668名を出した東日本大震災のあの日、地震と津波の脅威を私たちにまざまざと示しました。津波がくることは分かってはいてもまさか最大19メートルもの津波が来るとは誰も予想できませんでした。それ故に避難が遅れ、「あと1分はやく避難していれば…」という遺族の悲痛な声に胸が締め付けられます。
震災から2年目の3月10日・11日は被災地の各地で慰霊祭や鎮魂祭が行われ、犠牲になった方たちを偲びました。家族を奪われ家を根こそぎ流され、「災害危険区域」に指定されている地区ではその宅地に今後住むこともできない。その上、仕事も奪われている。そんな中でも復興に向け未来に向け一歩ずつ踏み出している人々の姿は1年前よりも笑顔が増え、強い東北魂が垣間みえます。
また、宮城県石巻市の長面地区は「長面湾」と「北上川」に挟まれた地形により、川を遡上した津波が川から町をのみ込みました。海からの津波を警戒していた住民にとって、まさか海と反対の農地から津波が襲ってくるとは予想もできず町全体が津波に飲み込まれました。そして今も満潮時には町全体が海に沈んでしまいます。元々、地盤が強くなかった為、津波の引き潮で砂や土が海に流れ80センチメートルほど沈下した影響が強いといわれています。捜索も震災から1年半の2012年8月から開始されました。児童4名をあわせた住民38名が未だ行方不明になっていて、一日も早い発見が待ち望まれます。
長面地区の住民が「童謡のふるさとを聞くのはつらいです」と苦しそうに呟いていました。ある日突然、ふるさとごと無くなってしまったのです。その姿に改めて地震と津波の脅威を後世に語り継がなければならないと思い知らされます。
現在も31万人以上が仮設住宅での生活や避難生活を余儀なくされています。
仮設住宅の居住期間が2年から3年に延伸びたとはいえ、なかなか復興が進んでいないのが現状です。災害危険区域」に指定されている地区も多く、土地を嵩上げする必要があります。それが計画段階のところが大半だといいます。今後はその嵩上げ工事が進めその嵩上げした土地を国が買い取り、住民はその土地を借りるか買うかした上で家を建てなければならないのです。実際にどの位かかるのか先が見えないまま2年という歳月を迎えました。
震災後3年目のこの年はさらに復興が加速することが切に望まれます。